認知症編(第三回) Dr.藤田の健康コラム 

 今回も前回に引き続きアルツハイマー型認知症の症状、特に中程度以上の症状ついて説明いたします。この時期になると明らかに物忘れがはっきりしてきます。家庭や友人など周囲との軋轢が生じてきます。記憶症状も精神的症状もだんだんエスカレートしてきます。ヒトの心は生きていますので、人間誰しも「そうだよねー」といわれたいし認められたい承認欲求があります。

それが傷つけられますと、プライドがずたずたになりますので、怒りを買うことになりかねません。正しさよりもやさしさだと思います。家族が介護保険申し込みや車の免許の返納を患者さんににじり寄って切り出すよりも、最初に説得するのをぜひ医師などの第三者に頼ってほしいと思います。家族関係は崩れたら元に戻せないときがあります。

 自分の経験です。身内の仏前に手を合わせに行ったところ、叔母に「あんた誰だ?」といわれたので、「〇〇子の息子の✖✖✖だよ」と答えたら「あー、よく来たね」と、「〇〇ちゃんの」ねーと反応があり、きてよかった大丈夫だなと思ったら、直後に「あんた誰だ?」と同じ質問が返ってきました。驚愕しましたが、最近の記憶だけではなく古い記憶もこうやってずたずたになっていくのだなと恐怖を伴った悲しみを持ちました。大好きな叔母でした。こういうときに強い言葉で非難したり強調したりすることは良いことではありません。寄り添って心地よい時間を共有して、「どこのどなたさんかわかりませんが親切にしてもらってありがとう」と、言われることが素敵なことだろうなと、苦いお茶を飲みましたが、従妹からは「あんまり来ないでね」と、目線で言われたような気がしました。本当に認知症の方・家族とのコミュニケーションはむつかしいと思います。自分が良かれと思って訪問してもあとで、あの人だれ?なにしに来たの?質問攻めにあうのは家族だからです。 

 認知症の方々が不安やストレスがたまると、大声で非難して、物を投げる、杖で人をたたく、などの暴力行為が出ることがあります。つまりそれだけストレスの多い日常を送っている、きちんと言葉で説明できないことと辛さを併せて持つことの表れと理解しております。

なるべくしんどい日常ではなく、純真に昔に戻って「幼稚園や小学校の砂場で遊ぶような日常」生活をもてるように配慮することが必要かもしれないと感じています。自分が思うに「アルツハイマー型認知症は病気なのだろうか?」という疑問があります。誰でも人間は白髪も増え、若いころの「無茶」もだんだん消えてきて、そのころには脳の中には異常なタンパクが増えており、年とともにだれでも認知機能は低下してきます。病的に記憶低下を起こしていれば「認知症」、元気で認知症を起こしていなくても実は解剖学的に認知症だった「ぎんさん」とのその差は何なのだろうかと考えてしまいます。明るく活動的に頑張って生きていれば認知症は逃げていく可能性があると「ぎんさん」は教えてくれました。要は「気の持ちようも大事ではないか」ということです。

もう一人の叔母の認知機能はそれほど落ちていませんし進行は遅いのですが、物忘れはかなりあります。保険証がない銀行通帳がないハンコがない、暗証番号がわからないはありましたが、よりも目立った症状は身内に対する「悪口」でした。暴言といってもよいと思います。どうしてそこまで言うか?答えはわかりませんが、今までの人生の裏返しもあるのかと思います。「何も足さない何もひかない」昔のサントリーウイスキーのような人生をヒトは生きていけるのでしょうか。長生きとともにリスクの高まる「認知症」という人生の難関。これを予防して生きていきましょう。予防の話は、いずれします。